源氏物語の作者として知られる紫式部。しかし、いつ生まれ、いつ亡くなったのかを含め、不明な点が多い。紫式部というのも、あくまで彰子に仕えていたころのあだ名であり、本名はわかっていない。
![しらたま](https://mochimochi-shiratama0405.com/wp-content/uploads/2023/10/IMG_3244-1.jpeg)
大河ドラマ「光る君へ」では、吉高由里子さん演じる紫式部は、「まひろ」という名前の設定だよ。
女房時代のあだ名は、父、または夫の姓と官職からつけられることが多く、紫式部の場合も、父の藤原為時が「式部丞」という官職にあったことから、当初は「藤式部」(とうのしきぶ)と呼ばれていたといわれる。
源氏物語のヒロイン「紫の上」から紫をとり、「紫式部」と呼ばれるようになったという説がある。
紫式部は、「源氏物語」のほかにも、「紫式部日記」、「紫式部集」という作品を残し、和歌も多く詠んでいる。「勅撰和歌集」(天皇の命令で作られた和歌集)に50首以上、「小倉百人一首」にも選出されている。
父・為時が漢詩人として有名だったこともあり、漢学の素養もあったようだ。才能を妬んだほかの女房達からは「偉そうな人」、「近寄りがたい人」と敬遠されており、紫式部は軋轢が起きないよう、「一」の文字さえ書けないふりをして才能を隠していたようである。
<お札にかかれた最初の女性?>
二千円札には、「源氏物語絵巻」の図柄とともに、紫式部の絵が描かれている。ただし、あくまで「図柄」扱いであり「肖像」ではないようで、肖像として書かれたのは五千円札の樋口一葉が最初とされており、次が2024年に発効される津田梅子ということになる。
暦年 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
973 | 1 | 為時の娘として誕生 |
? | 幼少期 | 母と離別?姉と死別 |
984 | 12 | 為時が式部丞に |
986 | 14 | 為時が失脚し、無職となる |
996 | 24 | 越前守となった為時とともに越前へ下向 |
997 | 25 | 越前から帰京 |
998 | 26 | 藤原宣孝と結婚 |
1001 | 29 | 藤原宣孝が亡くなる |
1002 | 30 | 「源氏物語」の執筆開始 |
1005 | 33~34 | 中宮彰子のものに出仕 ※41歳ごろまで出仕か? |
1010 | 38 | 「紫式部日記」執筆か ※主に彰子の出産の記録 |
1011 | 39 | 父・為時が越後守となる。弟・惟規没 |
1016 | 44 | 為時出家(紫式部の死を悲観?) |
1011年に一条天皇が崩御し、彰子は中宮でなくなったが、その後もしばらくは彰子のもとに仕えていたといわれる。1013年5月の藤原実資の日記「小右記」に、「越後守為時女(=紫式部)」という記述があるため、このころまでは女房の仕事をこなしていたようだ。
1014年に、父・為時はまだ越後守の任期中であったにもかかわらず、帰京し、2年後に出家もしている。これは、越後守任期中に、息子・惟規だけでなく、紫式部にも先立たれてしまい、悲しみに心を打たれたためだともいわれる。そうなると、紫式部は1013年~1014年の間に40代前半で亡くなったことになる。
紫式部の娘・賢子は、紫式部の死後間もなく、彰子に仕えた。のちに太宰大弐となる高階成章と結婚し、夫婦ともに従三位に昇進。これにより、賢子は「大弐三位」と呼ばれるようになり、小倉百人一首にも選ばれるなど、歌人としても活躍した。
2024年大河ドラマ「光る君へ」では、主人公・紫式部(まひろ)役を吉高由里子さんが演じる。
まひろの夫・宣孝役は、佐々木蔵之介さんが演じる。
※まひろの娘・賢子役のキャストは2023年11月時点で発表されていない。
>>まひろの父・母・弟の紹介・キャストはこちら
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