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「光る君へ」|紫式部が書いた「源氏物語」をすきま時間に楽しく読む①

2024年大河ドラマ

2024年1月7日から放送スタートとなるNHK大河ドラマ「光る君へ」は、平安時代を舞台に、源氏物語の作者「紫式部」の波乱万丈な人生を描いた物語。

登場人物がとても多く、入試で「源氏物語」が出題されると平均点が下がるともいわれているが、ここでは、「源氏物語」に出てくる主要人物をピックアップし、すき間時間で楽しく読めるよう書いていく。

なお、この記事では三部構成の源氏物語の第1部についてまとめている。
>>第1部のあらすじを読む

「源氏物語」誕生のきっかけ

紫式部は当時としては晩婚で、20代後半に藤原宣孝(のぶたか)と結婚した。親子くらい年が離れ、式部ほどの年齢の子どももいる男性であった。やがて娘が生まれたが、夫が妻の家に通う妻問婚で一夫多妻制の時代、夫の足は遠のきがちに。勝ち気な彼女も夜離れの悲しみを味わうことになった。

しかし、夫は2年ほどしたころに疫病で突然他界。浮気ばかりしていたつれない夫ではあっても、紫式部は大きな衝撃を受け、悲しみを紛らわすために「源氏物語」を書き始めたと言われている。

江戸時代に印刷技術が発達するまで、欲しい本は写本といって手で書き写していた。源氏物語は約100万字で、400字詰め原稿用紙に換算するとおよそ2,500枚となるそう。現在、紫式部の書いた原本は残っておらず、最も古い写本でも、源氏物語が記された200年後に活躍した歌人・藤原定家が作ったものである。(それでも一部で、全部残っているわけではない。)

こうした写本には、誤字や書き換え、創作で書き加えられたものまであった。このように変化が激しかったため、平安時代末期には、源氏物語を解説する注釈本が出された。

藤原道長の目に「源氏物語」が目にとまる

源氏物語は貴族の間で人気となり、藤原道長の目にもとまった。道長は、娘で一条天皇の中宮である藤原彰子の家庭教師に紫式部をスカウト。紫式部は気が乗らないながらも、夫の死後4年ほどして、彰子に仕えることとなった。当時は紙が高級品であったため、物語をなかなか完成させることができなかったが、道長という強力なスポンサーを得て、源氏物語を書き進め、完成させることができたという。

源氏物語はどんな話?

源氏物語は、平安時代中期、いまからおよそ1,000年前に紫式部が書いた長編小説。
約80年の時間の流れを描いた大作で、500人ほどの人物が広大なドラマを繰り広げる。源氏物語は五十四帖からなり、各帖はそれぞれで完結し、その集合体として長編小説になっている。

五十四帖は三部に分けられ、三部構成となっている。現在は、日本のみならず20か国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれている。

主人公は、当時の天皇「桐壺帝」の息子(第2皇子)である「光源氏」。

光源氏は「桐壺帝」の第二皇子として京都に生まれる。母は「桐壷の更衣」。幼少の頃から輝くばかりの美貌と才能に恵まれ、「光る君ひかるきみ)」と呼ばれるようになった。幼いころに亡くなった母に似た女性「藤壺」への思慕が初恋となり、その面影を求めて生涯様々な女性と関係を持つ。

まず物語の前に、平安時代の特徴や貴族の生活を知っておこう。

平安時代の特徴

◇名前がややこしい
・本名で呼ばれることはなく、住所+身分のような感じ。(出世すると名前が変わる)
・身分が重要視されていた。

◇制度
・一夫多妻多妾
・妻問婚(それぞれの妻に部屋を与え、夫が通う。女性の立場が低かった。)
・女性らしさが大事(嫁いだら他の男性に顔を見せてはいけない、基本部屋から出ない生活を送った。)

貴族の衣食住と私生活

◇衣
貴族の男性は、普段は直衣(のうし)と呼ばれる着物を着て、冠や烏帽子をかぶっていた。女性は普段は、単衣と袴と袿(うちかけ)の3枚。十二単は正装。普通は5~8枚くらいだが、20枚も重ねて着ることもあったという。また、この時代は女性の黒髪は絶対的な美の条件の一つで、長く垂らしているのが一般的であった。

◇食
貴族の宴会は、貝や魚、野菜など、20~30品もの料理を並べたぜいたくなものだった。一方、庶民は、玄米や麦のごはんに、野菜や魚のおかずが1品か2品。質素ではあったが、健康的であった。

◇住
身分の高い貴族は、寝殿造とよばれる庭つきの立派な屋敷に住んでいた。屋内には、几帳や屏風でしきられ、御帳台と呼ばれるベッドも使われていた。

◇短歌
貴族の男性は、気になる女性がいたら、その人の情報をかき集め、女性が気に入るような短歌を作って、送った。その歌を気に入ったら女性はお返しの歌を返し、何度も繰り返すことでやっと交際がスタートした。

◇占い
陰陽道と呼ばれる占いの結果に従って、不吉な方向をさけて移動したり、不吉な日には外出をやめて屋敷にこもったりしていた、占いをおこなう陰陽師として、安倍晴明が活躍した。

第一部:光源氏誕生と人生の最盛期

光源氏の出生、義理母「藤壷」への思慕、朧月夜との密会露見から須磨への流離を経て、准太上天皇の地位を得るまでの栄華物語が綴られている。

第二部:天下取りの代償と本当の愛

光源氏が女三宮(上皇の娘)を妻に迎え、この幼い妻と柏木との不義の御子(薫)の誕生から、女三宮の出家へ。「紫の上」の死去により、生きる望みを失った光源氏が出家をする。光源氏の晩年の物語が描かれている。

>>「光る君へ」|紫式部が書いた「源氏物語」をすきま時間に楽しく読む②

第三部:光源氏の死後、子孫たちの恋

光源氏と女三宮との子・薫(実は柏木との不義の子)を中心に、玉鬘の美しい2人の娘の話。
またの薫と匂宮をめぐる宇治の姉妹の物語(宇治十帖)が語られている。

>>「光る君へ」|紫式部が書いた「源氏物語」をすきま時間に楽しく読む③〜最終章〜

当時の天皇「桐壺帝」(光源氏の父)には第一夫人である「弘徽殿女御」がいた。その間には、次期天皇候補の「朱雀帝」。しかし、桐壺帝から最も寵愛を受けていたのは、第二夫人である「桐壷の更衣」。「桐壷の更衣」は位が低かったため、宮中の女たちから壮絶ないじめを受けていた。「桐壺帝」と「桐壷の更衣」の息子が、主人公「光源氏」である。

あらすじ

桐壺帝は、女たちの嫉妬のあまり「桐壷の更衣」や「光源氏」が殺されることをおそれ、光源氏を皇族から外して貴族とし、源氏の姓をあたえた。そんな中、母である「桐壷の更衣」はいじめのストレスで病み、光源氏が3歳の時に亡くなってしまった。

<天皇の后の位>
后の位は、父親の身分で決まっていた。光源氏の母・桐壷の更衣は位が低かったのに桐壺帝に特別にかわいがられ、嫉妬されていたのだった。

  1. 中宮
  2. 女御→大臣以上の娘がなる
  3. 更衣→大納言以下の娘がなる

悲しむ桐壺帝は、「桐壷の更衣」にそっくりな「藤壺」(当時14歳)という新しい后を、第2夫人とした。
光源氏(10歳)にとっては、最初は「お母さんにそっくりなお姉ちゃんがきた!?」ような感じであったようだ。母の面影を追い「藤壺」のところへ通いつめるようになり、恋心がめばえる。
「藤壺」は、光源氏が12歳(成人)になったときに、もう部屋に来ないよう伝え、光源氏はショックを受ける。

そのころ、光源氏は有力な左大臣家の娘・葵の上と政略結婚する。葵の上は光源氏より年上でクール、プライドも高く、親が決めた結婚相手であったこともあり、打ち解けることができず心が満たされない生活が続いたのだった。

そんな時に出会ったのが、「六条の御息所(ろくじょうのみやすんどころ)」。未亡人であり才女であった彼女のところに、光源氏は漢詩をおそわる口実で通うようになり、恋仲となる。

ところが、正妻「葵の上」の兄で親友・ライバルでもある「頭の中将」から、上流階級の女はプライドが高いから中流階級の女がいいぞと聞き、「六条の御息所」のところへ足を運ばなくなった。そのころ光源氏が出会ったのが、「空蝉(うつせみ)」。しかし「空蝉」は、光源氏との自身の身分の差を暗じ、逃げてしまう。

逃げられてしまった光源氏が次に出会ったのが、中流階級の「夕顔」。(夕顔は、「頭の中将」の元カノであった。)「夕顔」のせいで光源氏が自分のところに来なくなったことに嫉妬した「六条の御息所」は、生霊となり夕顔を呪い殺してしまう

夕顔が亡くなって落胆し、山へ祈祷に行く途中で、藤壺にそっくりな紫の上を見つけた。それもそのはず、紫の上は、藤壺の兄の娘であった。母親が亡くなり、10歳の紫の上は祖母に育てられていた。光源氏は「引き取って育てさせてくれないか」と懇願するが、祖母に断られてしまう。

紫の上は源氏物語最大のヒロインで、紫式部の名前も紫の上からとったといわれている。

紫の上をみて「藤壺」への思いが抑えられなくなった光源氏は、来てはだめだと言われていた「藤壺」のもとに会いにいき、関係をもってしまう。そして、「藤壺」は光源氏の子を妊娠

同じころ、紫の上の祖母が亡くなったと聞きつけた光源氏は、強引に紫の上を二条院へ連れ去り、これ以降娘のように育てていくこととなった。

また、父親が亡くなり、荒れた部屋から出てこないと噂される「末摘花(すえつむはな)」に興味を持った光源氏は関係を持つが、明るいところで末摘花の顔を見てみると、なんとも容姿がよくなかった。ただ、性格がよく謙虚で、光源氏が都落ちした後もずっと光源氏を待っており、都に戻ってきた光源氏は末摘花を引き取って面倒を見ていく。

ついに、「藤壺」は光源氏との子供「冷泉帝」を産み、第1夫人となる。
絶対にばれるわけにはいかない。と思いながら、光源氏とは敵方である右大臣側の「朧月夜」と恋仲に。「朧月夜」は、次期天皇候補の「朱雀帝」に入内予定であった。

さらに、結婚10年目にして正妻の葵の上が懐妊し、光源氏と葵の上の仲が縮まる。それに対してまたも、六条の御息所が嫉妬。葵の上は、息子・夕霧を産んだ後、六条の御息所の生霊に呪い殺されてしまった。

桐壺亭が亡くなり、「藤壺」が出家し会えなくなる。

正妻・葵の上、父、「藤壺」を失った光源氏は、自暴自棄で「朧月夜」に会いに通う。のちの天皇に嫁ぐであろう女に手を出してしまったのを、ついに右大臣側に見つかってしまった。光源氏は、右大臣から謀反の疑いにかけられることを恐れ、自分から都を出て須磨へ流れる。桐壺帝の第一夫人・弘徽殿女御の妹で、光源氏の幼馴染のようにして育った「花散里(はなちるさと)」だけは味方する。

夢の中で、「須磨から明石へ行け」という父からのお告げがあり、翌日、光源氏のもとに船にのって明石入道がやってきた。明石入道の夢にも、光源氏をお迎えにいくよう夢のお告げがあったという。明石入道は娘の「明石の御方」と光源氏を結婚させようともくろみ、そのもくろみどおり、2人は恋に落ち、明石の御方は光源氏との子「明石の姫君」を出産した。

そのころ都では、敵方である右大臣が亡くなり、朱雀帝が眼病に伏している状況であった。光源氏は都に戻り、政界に復帰し官職にも昇進した。そのころ、ついに「冷泉帝」が即位する。表向きには父と藤壷の子であるが、本当は光源氏との秘密の子である。

都に戻った光源氏は昔の女たちに会いにいく。六条の御息所は病に伏しており、別の男との娘「梅壺」を託された光源氏は引き取って育てる。また、夫と死別して出家していた「空蝉」や、長年一途に光源氏を待っていた「末摘花」にも会いに行き、二条東院に引き取り、生活の面倒を見た。

光源氏、関係をもった女性のことを最後まで面倒みて男気がありますね。

絵あわせ対決

都に戻った光源氏と「頭の中将」は、冷泉帝にどちらが自分たちの娘を嫁がせられるかのゲームをしたといわれる。どちらの絵が優れているか冷泉帝に判定してもらうのである。

・光源氏→六条御息所の娘・梅壺を候補に出す
・頭の中将→新弘徽殿女御(娘)を候補に出す

両者ともに白熱していたが、光源氏が出した最後の1枚である「須磨」の絵で、須磨に流れていたときの貴族としてはあるまじきわびしい暮らしが涙を誘い、「梅壺」が中宮となったのであった。

養女を中宮にした光源氏の権力は絶対的になった。
さらに権力を盤石にするため、出自の低い母から生まれた娘「明石の姫君」を自身の手元に引き取り、正妻格である紫の上の養女として、高い后教育を施した。「明石の姫君」はのちに冷泉帝の次の天皇に嫁いだ。

明石の御方は、娘と引き離されてつらかっただろうな・・・でも娘の将来を思っての決断。光源氏から頼まれたこととはいえ、なかなかできることではないと思います。

六条院の完成

光源氏はもともと母である桐壺の更衣が住んでいた二条院を拠点としていたが、都に戻ってからは「六条院」を拠点とした。六条院は六条の御息所が住んでいた場所である。

「六条院」は、天皇のいるところから少し離れたところにある。御所の近くにいなくても権力がある、御所と並ぶ力を持っていることを示す、また「六条の御息所」の娘・梅壺とともに暮らすことで、六条の御息所の魂を鎮める意図があったともいわれている。

六条院は、四町(春夏秋冬)を占める広大な寝殿造の邸宅。それぞれの町に主要メンバーを住まわせた。まさに愛と権力のハーレムハウスの完成である。

  • 春の町:紫の上、明石の姫君(娘)
  • 夏の町:花散里、夕霧(息子)
  • 秋の町:梅壺(養女)
  • 冬の町:明石の御方

ここで第1部が終了する。第2部では、絶頂にいた光源氏にだんだんとかげりが見え始める。

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コメント

  1. 松井一郎 より:

    「世界最古の長編小説」は間違い。「宇津保物語」あるかぎり、日本最古の長編小説ではない。日本最古でないものが世界最古であるはずがない。