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2024年大河ドラマ「光る君へ」|一条天皇を取り巻くキャスト紹介

2024年大河ドラマ

藤原道隆(井浦新)・道長(柄本佑)兄弟のもとで藤原氏の権勢が最盛に達していたころの重要人物のひとりである一条天皇。

道隆の娘・定子(高畑充希)が皇后、道長の娘・彰子(三上愛)が中宮となった。一帝二后の先例を開いた。

一条天皇(980〜1011)

兄弟姉妹はおらず、従兄弟に65代花山天皇(本郷奏多)と67代三条天皇(木村達成)がいる。
一条天皇は、劇団EXILEのメンバー塩野瑛久さんが演じる。

2011年:第24回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募し審査員特別賞、およびAOKI賞を受賞。
2012年:芸能界デビュー。
2013年:『獣電戦隊キョウリュウジャー』に立風館ソウジキョウリュウグリーン役でレギュラー出演を務める。
その後、舞台「里見八犬伝」、映画「HiGH&LOW THE WORST」などの出演、ドラマ「Re:フォロワー」では主演を務める。

実家がクレープ屋さんのため、クレープ作りが特技のようです。

7歳で即位したことから、祖父で右大臣の藤原兼家(段田安則)が摂政となり、政治を進める。11歳で元服し、兼家の孫である定子が入内、後に皇后となる。一条天皇は定子に愛情をおしみなくそそいだ。兼家が死去すると、後継者争いが勃発。藤原道長が娘の彰子を入内させ、力を掌握するようになる。

一条天皇自らも詩歌や器楽など芸術全般に優れた人物だった。そのためか、文化面でも紫式部や清少納言らが活躍した。また、心優しく、学問に明るく、笛の名手でもあった。

愛猫家でも知られており、内裏で生まれた猫に「命婦のおとど」という名前をつけ、位まで授けていたという。清少納言『枕草子』には、命婦のおとどに飛びかかった犬の翁丸に対し、一条天皇が「翁丸を捕らえて犬島へ流せ」と怒り、実際に翁丸が犬島に流されたというエピソードが残る。

32歳で亡くなった。

父:64代円融天皇

円融天皇の父は村上天皇、母は右大臣・藤原師輔の長女。63代冷泉天皇の弟。

11歳で即位したため、藤原実頼が摂政をつとめた。実頼の死後は、藤原伊尹が摂政を引き継ぐ。円融天皇が成人となり伊尹の死後は、弟の兼通と兼家の間に関白をめぐる争いが勃発。円融天皇は年長者の兼通を関白に任命し、兼通の娘・藤原媓子が中宮となった。

藤原媓子が亡くなったあと中宮の座が空いていたが、兼家(段田安則)を嫌っていた円融天皇が、兼家の娘・詮子(吉田羊)ではなく別の女性を中宮としたことから、兼家が反発。詮子と懐仁親王(のちの一条天皇)を円融天皇から遠ざけたため、しかたなく兄・冷泉天皇の子花山天皇(本郷奏多)に譲位し、息子・懐仁親王を皇太子とした。

円融天皇は、歌舞伎役者の坂東巳之助さんが演じる。

母:藤原 詮子

道長(柄本佑)の姉・藤原詮子。息子の一条天皇即位後、病で出家した詮子は「東三条院」と称された。(太上天皇に順ずる女院号の最初とされている)兄の道隆(井浦新)・道兼(玉置玲央)が疫病で続けて亡くなったあと、弟の道長と甥の伊周(三浦翔平)の間で権力争いが起こった時、道長を後継者として推した。一条天皇は母のお願いを断ることができず、以後道長は絶対的権力者としての道を歩んだ。40歳で亡くなった。

藤原詮子は、吉田羊さんが演じる。

妻①:藤原 定子(976年~1000年)

当時は、定子の父・道隆(井浦新)が権力の頂点におり、一条天皇(塩野瑛久)と定子(高畑充希)、兄の伊周(三浦翔平)らは仲が良く、一族はわが世の春を謳歌していた。定子が一条天皇のもとに入内したとき、天皇は11歳、定子もまた15歳であった。

定子の母・高階貴子(板谷由夏)は当時女性としては珍しく漢籍の嗜みがあり、その影響で定子も漢詩に詳しく、学問好きの一条天皇の好みにあったようだ。定子は一条天皇の最愛の人となった。また、教養ある定子のもとには、清少納言らが女房として仕え、定子サロンは明るく華やかであったという。

しかし、父・道隆が亡くなり、兄・伊周、弟・隆家が花山法王を弓で射た事件で追放され、失意の定子は出家する。しかし一条天皇の寵愛が深かった定子は、一度出家したにも関わらず、再び中宮として入内し3人の子供を産んだ。しかし第3子の出産が原因で、25歳の若さで亡くなった。

定子の死後、彰子が息子・敦康親王を育てたが、道長の力が強く、自身の孫・敦成親王を皇太子としてしまった。聡明だった敦康親王は、自分の邸宅で歌合や作文会などを催し風雅の道に生きたが、20歳の若さで亡くなっている。

大河ドラマ「光る君へ」では、「定子」役を高畑充希さんが演じる。

◆定子の兄・藤原伊周、弟・藤原隆家の人物像、キャストについては、>>こちら

定子との子供

脩子(しゅうし)内親王

長女。母・定子(高畑充希)の実家である中関白家が没落し、定子は出家。そのストレスが懐妊期間が12カ月に及んだとされ、世間の注目を浴びた。その後父母はおろか、弟・敦康親王や妹・媄子内親王に先立たれ、生涯独身を貫いた。代わりに、伯父である伊周(三浦翔平)の孫を養育し、後朱雀天皇(※)に入内させた。54歳で亡くなった。
※一条天皇の第三皇子(一条天皇と彰子の息子)

キャストの発表はなし。

敦康親王

第一皇子。天皇と正妻との間に生まれ、健康に育ったにも関わらず天皇にも皇太子にもなれず不遇に終わった。誕生時に既に母の実家は没落しており、翌年に母もなくなるなど、後ろ盾がなかったこと、道長が敦康天皇ではなく、自身の孫を皇位につけようとしていたためである。皇位の道を断たれた敦康親王は、文化面に精を出すしかなかった。敦康親王の娘・藤原嫄子は、頼通(渡邊圭祐)の養女となり、後朱雀天皇に入内した。20歳で亡くなった。

キャストの発表はなし。

媄子(びし)内親王

3人目の子。誕生の翌日に母が亡くなり、母の顔を知らずに育った。その後、彼女を養育したのは祖母の詮子(吉田羊)だと言われる。わずか9歳で亡くなった。

キャストの発表はなし。

妻②:藤原 彰子(988年~1074年)

道長の長女・彰子は12歳のときに一条天皇のもとに入内。定子とともに正妻にあたる中宮となった。定子が亡くなった後は、一条天皇と定子の息子・敦康親王を引き取って育てた。また、彰子が18歳のころに紫式部(吉高由里子)が使えるようになったと言われる。

入内して9年後に、敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。敦成親王誕生と、その祝いの宴の様子は、紫式部が「紫式部日記」に克明に記している。

また、翌年に彰子は敦良親王(のちの後朱雀天皇)を出産。こちらも紫式部日記に誕生後の祝賀行事の様子が記されている。

彰子は、一見道長が権力を得るための道具として一生を終えたと思われがちであるが、次期天皇の皇位を巡って、父である道長の非情な政治姿勢に反発したりもしていた。『栄花物語』には、一条天皇と自分の意向を無視して、敦成親王を皇太子にした父の道長を恨んでいたと記されている。

また、87歳と当時としてはかなりの長寿を全うし、子や孫の死を見送ったのちに、静かに生涯を終えている。

大河ドラマ「光る君へ」では、「彰子」役を見上 愛さんが演じる。

彰子との子供(道長の孫)

敦成親王(のちの後一条天皇)

第二皇子。父である一条天皇が病気で退位し、三条天皇(木村達成:三代前の冷泉天皇の皇子)に譲位し、皇太子となった。そして9歳のときに即位し「後一条天皇」となった。道長はついに天皇の外戚として摂政となり圧倒的な権力を握った。しかし、生涯皇子に恵まれないまま、29歳の若さで亡くなっている。

敦良親王(のちの後朱雀天皇)

第三皇子。9歳のときに兄・後一条天皇の皇太子となっている。兄の死後、「後朱雀天皇」として即位するが、当時は叔父・頼道(渡邊圭祐)の権力が強く、自分の意見を通すのが難しかったようだ。その後病で10年足らずで崩御。一般に大きな成果は残せなかったとされるが、兄とは違い2人の皇子を設けていたため、死後は子の後冷泉天皇、後三条天皇が続けて即位した。

妻③:藤原 元子

中関白家が没落し、定子(高畑充希)が出家すると、右大臣・藤原顕光(宮川一朗太)は娘・元子を入内させた。
定子が出産後、次に懐妊の兆候を見せたのが元子であった。初めての皇子誕生かと世間が騒がしくなる中、お産の床についた元子であったが、なぜか出てくるのは水ばかり。大量の水が流れてくるだけで胎児も出血もなかったという。以後、元子が懐妊することはなかった。

栄花物語によれば元子は一条天皇の死後、源頼定と密通。その事実を知った父・顕光は怒り彼女の美しい髪を切って尼のようにしてしまったという。それでも頼定は通い続け、やがてふたりは結婚、女子を設けたという。

藤原 元子のキャストは発表されていない。

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ゆかりの地①:一条院跡

一条天皇は内裏が焼亡した為、母・詮子(吉田羊)の邸を修造し里内裏として使用していた。 ここは一条院と呼ばれ、一条天皇の代には内裏が三度も焼亡した為、999年の一度目の焼亡より1011年の崩御まで里内裏として使用され続けたという。 一条院は一条天皇時代の文化サロンの舞台であり、紫式部(吉高由里子)が自身の日記に書いている内裏とはこの一条院のことである。

当該地は南北朝時代、後醍醐天皇を擁護して鎌倉幕府の倒幕に貢献し、建武新政の要職についた名和長年が戦死した終焉の地と言われ、現在は名和児童公園となっており、石碑が立っている。

住所:〒602-8237 京都府京都市上京区糸屋町(京都市上京区大宮通中立売上ル糸屋町)
アクセス:地下鉄今出川駅下車 徒歩18分

ゆかりの地②:晴明神社

平安時代中期の天文学者である安倍晴明を祀る神社。前述の一条院跡から徒歩6分。

安倍晴明は、式神という鬼神を手下のように使いこなし、呪術で生き物を殺すなど、天下無敵の超能力者のようであった。紫式部や道長と同じ時代を生き、陰陽師として占いや祭り、祓いなどの呪術をおこない活躍した。また天文暦学の道を深く極め、星の動きなどで宮殿の異変や吉凶を言い当てたことから、朝廷から信頼されていた。

一条天皇(塩野瑛久)が病気になった時にお祓いをしたところ、「たちまち効果ありだった」と藤原実資(秋山竜次)の「小右記」に記されている。85歳で亡くなり、一条天皇の命で晴明の屋敷跡に社殿が建てられた。

安倍晴明神社
住所京都市上京区晴明町806
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電話番号075-441-6460
参拝時間午前9:00〜午後5:00
(無休、授与所は午後4:30まで)
駐車場神社の南隣に駐車場(※コインパーキング)あり
※「風良宮パーク77」 200円/30分(最大1200円)
ロック板なし
参拝料なし
アクセス◇地下鉄
今出川駅より徒歩約12分

◇市バス
JR 京都駅より
9番「一条戻橋・晴明神社前」下車 徒歩すぐ
阪急 烏丸駅、地下鉄 四条駅より
12番「一条戻橋・晴明神社前」下車 徒歩すぐ
京阪 三条駅より
12または59番「堀川今出川」下車 徒歩約2分
HPhttps://www.seimeijinja.jp

安倍晴明役は、ユースケ・サンタマリアさんが演じる。

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