大河ドラマ「光る君へ」で紫式部のソウルメイトとして登場する藤原 道長。
藤原 道長(966年~1027年)
彼が生まれたときは、父・兼家はまだ権力者ではなかったし、有能な兄が複数おり、通常であれば権力の座がめぐりくるとは思えない環境であった。
しかし、兄が続けざまに病死すると、道長は自分より高いくらいにあった甥の伊周を通り越し、内覧という権力者の地位を得ることに成功した。また、道長の姉・詮子が道長びいきであったことも大きかった。
大河ドラマ「光る君へ」では、道長役を柄本佑さんが演じる。2007年大河ドラマ「風林火山」、2019年大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」に続く3回目の出演となる。
8月下旬には、栃木県下都賀郡壬生町で平安時代の馬術競技である「打毬」の撮影がおこなわれたとのこと。
打毬は、馬に騎った者らが2組に分かれ、打毬杖(だきゅうづえ)をふるって庭にある毬を自分の組の毬門に早く入れることを競うもの。平安時代の貴族たちが実際に楽しんだという。
馬に乗ることだけでも難しそうなのに、さらに杖をふるだなんて、とっても難しそうです。
撮影の様子はこちらから
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道長の妻と子についてはこちら
>>光る君へ|道長の2人の妻はどんな人だった?
西暦 | 年齢 | 道長に起こったできごと | その頃紫式部は? |
---|---|---|---|
966 | 1 | 兼家と時姫の間に誕生 | |
970 | 4 | 兼家が中納言に出世 | |
973 | 7 | 兼家が兄弟争いに敗れ、兼通が権力者に | 誕生? |
978 | 12 | 兼家失脚 | |
986 | 21 | 花山天皇を退位させた兼家が摂政に | 父・為時が無職に |
988 | 23 | 権中納言に。源倫子と結婚し彰子誕生 | |
990 | 25 | 兄・道隆や甥・伊周に権力を握られる | 父とともに越前へ下向。夫・宣孝没 |
995 | 30 | 内覧の宣旨を受け、のちに右大臣に | 源氏物語の執筆を開始 |
996 | 31 | 長徳の変で中関白家没落。左大臣に | |
1000 | 35 | 娘・彰子が一条天皇の中宮になる | |
1008 | 43 | 彰子が敦成親王を産む ※一条天皇の後の三条天皇を無理やり譲位させた | 彰子に出仕 |
1009 | 44 | 彰子が敦良親王を産む | |
1016 | 51 | 敦成親王が即位し、後一条天皇となったことで摂政となる | このころまでは彰子に仕えていたが、 没年は不明 |
1017 | 52 | 摂政を子・頼通に譲り太政大臣に。 敦良親王が皇太子となる | |
1018 | 53 | 3人の娘が続けて后となり、「望月の歌」を詠む | |
1019 | 54 | 出家。息子・頼通が関白に | |
1022 | 57 | 法成寺金堂供養 | |
1027 | 62 | 体調不良にて没 |
望月の歌
道長の三女・威子が孫・後一条天皇の中宮となり、道長が1018年に宴の席で詠んだ歌。
この世をば わが世とぞ思う 望月の
欠けたることも なしと思えば
(意味)この世は私の天下であるように思うことよ。満月のように満ち足りて、欠けているところはないと思うので。
戦ではなく、結婚によって政権を手に入れる摂関政治が頂点に達した瞬間であった。
晩年
望月の歌を詠む少し前から、道長は糖尿病や神経症、白内障にかかっていたようで、胸の痛みや視力低下に悩まされていたことが当時の日記に記されている。
望月の歌を詠んでから半年も経たないうちに、激しい胸痛に襲われた道長は1019年に出家を決意したという。
その後、自邸・土御門邸の東側に壮大な寺院・法成寺を建立し、暮らすと体調も安定したが、2年の間に娘3人、息子1人が相次いで亡くなった。精神的にショックを受けたことがきっかけとなったのか、兄・道兼や三条天皇、伊周らの怨念なのか、道長の体調は悪化していった。背中にできた大きな腫物の痛みに連日苦しんだという。
重体となった道長は、法成寺阿弥陀堂に居を移した。阿弥陀仏からのびる五色の糸を握りしめ、北枕西向きに横たわり、僧侶たちの読経の中、自身も念仏を口ずさみ極楽往生を願いながら最期の時を迎えたと栄花物語に記されている。1027年、享年62歳であった。
法成寺は、大内裏の東側、鴨川の西に築かれた(現在の京都市上京区東端)。南北朝期の火災でなくなったが、当時法成寺が建てられた場所には、「法成寺址」の石碑が立っている。
御堂関白記
御堂関白記は、道長が998年から1021年まで書き続けた日記で、国宝に指定されている。
もとは36巻あったとされるが、そのうちの14巻は道長の自筆のものが現存している。他の巻も写本の形で残っており、当時の様子を知るうえで重要な史料となっている。形式的には、具中暦という吉凶などが記されたカレンダーに書き込まれたものであり、現存する世界最古の直筆日記とされ、ユネスコの世界記憶遺産にも登録されている。
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